文化センターの教室
以前、通い始めた俳句教室について書いた。<出会い編、句会編、苦悩編>
初めての場所ってのは、特に細かいところに注意が向く。
講座が行われている文化センターもそうだ。ここでは同じ時間帯に、複数の講座が開かれている。もくもく作業型だったり、会話形式だったり。
笑い声や話し声がしてもしなくても、どこの教室からも穏やかで静かな空気が流れている。
部屋同士は壁で区切られているが、廊下側はすべてガラス張りで丸見えだ。ドアも開けっぱなし。建物自体は少し古めなせいか、机と椅子、カーテン含め何十年も前に時を戻す懐かしさを覚える。
俳句講座で使う教室は、大きな窓が広がっていてとても眺めが良い。晴れの日は最高。
ある程度高さのある建物の中に位置しているので、目の前を新幹線がバンバン通過していくのが面白い。新型車両が通るたび、おっとなる。
少し目線を動かすと、部屋の隅にそっと石膏像が隠れている。何十年ぶりに間近で見る石膏像は、大きかった。こんな大きかったっけ?なんでこういう石膏像って、どれも同じようなものばかりなのかな。
そんなことを考えていると、向かい側の教室から、英会話講師の低く通る語りが聞こえてくる。
母国のこと、育った地域のこと、興味のあること、最近のできごと、など。フムフム、へー、そうなんだ、と勝手に聞いている。
平和だなぁ。
今は窓側の方で窓を背にした席に座っているので、英会話講師の声は聞き取りにくいので盗み聞きしないし、窓は見えないので新幹線は見ず、余計なものは入ってこない。あと、雰囲気に慣れたので、細かい所に気がつきにくくなっている。
他の教室が終わって、退室する受講者の顔とかは見える。皆、笑顔やほほえみを浮かべるような顔つきだ。自分もゆったりした気分でいるので、そんな自分目線では周りはさらにゆったりしているように映る。
先月、一ヶ月限定のライティング講座を取る際に掲げた、「一週間に一投稿」の目標はギリ守れた時と、「あれ、一週間早すぎない?」と過ぎ去った時と両方だった。けれど、投稿まではいかなくてもちょこちょこ溜まった下書きに修正は加えていた。
数ヶ月前に書いて放置した今回の下書きを改めて読み返すと、すっかり細かいところを忘れていることに気づく。しまいには書いていた描写ってそもそも合っているのか、気になりだす始末。
次の俳句教室で再確認して大きな間違えがなければ投稿、っていう流れにしたくなるところだけれど、それはしないでこのまま投稿してみる。
「ま、大体こんなもんだったよね。」と言い聞かせて。